青海省の過馬営(ゴアマーイン)というところに行ってみる

青海省の貴徳というところに行って一応の観光が終わって、時間が余ったので、
チャーターしたタクシーの運転手に、過馬営(ゴアマーイン)というところに行って貰った。
何故、過馬営に行きたかったかというと、貴徳のいい加減な観光地図を見ていたら、
過馬営にお寺があるように見えたからである。それに過馬営という名前の「営」の字は、
軍隊の駐屯地の意味があるし、「馬」の字があることから、何か昔に軍隊がいたようなところか
と思えたので、古い建物とか遺跡でもあるのではないかと勝手に想像してしまったのである。
過馬営までは60kmあるとのことで、青海省の省道101号線の黄土高原の道を走り出した。

ゴアマーインの位置や黄金のヤクを見た場所は下の地図で分かる。また地図を操作すれば
青海省や省都西寧との関係も分かるはずである。

より大きな地図で ゴアマーイン(過馬営) を表示






この辺りは黄土高原ではないかと思えた。なぜなら貴徳は青海高原と黄土高原の
境にあると書かれていた。貴徳の黄河を境にして北は青海高原、そこから南は黄土高原
であるならば、南に走り出したのだからこの辺りは黄土高原かもしれない。




確かにこの辺りの様相からすればは黄土高原らしい。緑の樹が一本もない。



実は過馬営に行く前に女性のタクシー運転士に、過馬営に行ってくれと頼んだら、
「あそこはチベット人の街で、何も無いよ」と言われてしまった。しかしチベット人
部落なら行ってみたいと思っていたし、
チベット人のいるところなら、
チベット寺院くらいはあるのではないかと思えた。後で Google Earth で計測したら
黄土高原の道は、最高地点で海抜3850m(富士山より高い)位はあった。










ヤクの群れが見える。牛ではない。






過馬営(ゴアマーイン)に着いてみたら、そこは本当にチベット人の街であった。
チベット人が多かったが、街の様子はチベット人が住む土壁の家ではなく、中国風の街に
改造されていて、チベット寺院さえもなかった。私が最初、寺院があるのでははないかと思った
のは、貴徳のいい加減な観光地図でそう見えたからである。
出発地の、田舎町の貴徳にはまともな観光地図などは無いようである。貴徳には意外に
観光資源があり、観光で売り出そうとしている街なのであるが。









あとで調べて見て分かったのだが、過馬営は海抜3098mの高原の街であった。
青海省の省都・西寧から170kくらい南にある。 過馬営は省道101号線の途上にあって、
101号線は西寧から青海省の南端に抜ける為の道で、過馬営はその喉笛に当たる
ところなのだとか。過馬営はチベット語で川の多いところという意味らしい。
昔は茶と馬の交易で栄えたところで、茶は青海高原の人の為に、馬は軍馬用として
交易が行われたらしい。街としてはチベット族の土壁の家はなくなっていて、
雑然とした街であったが、そういう歴史などを知ってみるとなかなか趣のある街であった。
私が勝手に昔の軍隊の駐屯地であったのではないかと想像したこととは
全く違ってはいたが、重要な役割のある場所であったという意味では当たっていた。



チベット族の服装をして、オートバイに乗るチベット族。









この人たちは漢族か。少なくとも白いチョッキを来ている人は漢族で、
貴徳でチャーターしたタクシーの女性運転手。




回族もいるらしい。白い帽子を被った男性がいるから。















過馬営(ゴアマーイン)からの帰り道で、ヤクの群れに出会う。















チャーターしたタクシーと運転手とヤク。この女性運転手は私が撮りたい思っていた、
ヤクの群れをいち早く見つけてくれて、タクシーを止めて撮影をそくしてくれた。

























チャーターしたタクシーの女性運転手が、前を走るチベット族について、チベット服の袖は
長いと教えてくれた。たしかに袖は長く、これなら防寒用手袋は必要はない。
もっとも、チベット族のチベット服は、袖が異常に長い地方があって、
甘粛省甘南地方のチベット服の袖はここの地方よりずっと長いのである。






チャーターしたタクシーの女性運転手が言うことには、この辺の周囲の山は
全部、黄土だと言っていた。全部黄土だとすれば、黄土の堆積は相当厚いらしい。
こんなところまで来た日本人はあまりいないだろうから、日本人がほとんど
走ったことのない黄土の堆積の上を走ったことは貴重な体験かな?
過馬営(ゴアマーイン)に行ったことも、間違って行ったようなものであるけれど、
貴重な見聞かもしれない。