青海省・貴徳の街


青海省・貴徳について説明しているのに、そこが中国のどのあたりに在るのかさっぱり分って
もらいないとすれば甚だだ残念なことでる。青海省・貴徳に行くには、青海省の省都・西寧から
拉鶏山峠という3820mもの富士山より高い峠を越えて黄河に向かって南下し、バスで114㎞、
2時間半かかる。貴徳県は黄河の河べりにあって、黄河は西から東に流れている。黄河には上流にも
下流にも、深い峡谷があって、行く手を阻んでいる。南側と北側には山が聳え、貴徳のあたりだけが
盆地になっている。しかしこの辺りの黄河は澄んでいて青いのである。

貴徳の北側の山は青藏高原でありチベット族地帯である。南側には黄土高原が広がっている。
貴徳の街の住民は、半数がイスラム教徒の回族であり、チベット族も大勢いる。
こんな交通不便な貴徳であるが、この街の歴史は古く、明、清時代の古建築群が残っている。
その古い建物は漢民族風の建物である。辺境の異民族の地に、漢民族風の建物を作ったことの意味は、
おそらく漢民族の統治を強固なものとする為だったのだろう。貴徳の辺を青い黄河が流れているので
「高原の真珠・小江南」という言い方があるらしいが、小江南というより辺境の街の雰囲気がする。
古い建物があり、赤い山の丹霞地貌が見え、青い黄河流れている貴徳の光景はなかなか素晴らしい。

日本人が殆ど行くことのない陸の孤島・貴徳が青海省のどこにあるのか、そもそも
青海省は中国のどこにあるのか、それを理解して貰うには、下の地図を操作して、広域化して見て
貰うしかない。この地図を操作して見てみないことには、貴徳の位置は分からないと思う。

より大きな地図で 青海省貴徳 を表示



下の写真は玉皇閣という街の中心にある古建築。玉皇閣は清代の同治六年(1867年)に
回族の反乱により壊されたのだが、清朝末の光緒年間に建て直されたのだとか。

今はこの地は穏やかに見えるが、やはりこの地に回族の反乱はあったのである。




玉皇閣の正面の楼門。これは新しい。タクシーは軽三輪車のものがある。




玉皇閣が遠くに見える。




玉皇閣の背景は、黄色い黄土からできている山である。樹が生えていない。




玉皇閣に入る門







関羽や岳飛の关岳廟があると言うから、これらの塑像がそうかもしれない。




















贵德古城と言われる土塀で囲まれた一角があり、この中に玉皇閣、
博物馆、城隍廟、大佛寺、梨馨院がある。贵德古城は貴徳の街の中心であり、
贵德古城の中心に玉皇閣がある。これらの古建築群が土塀で囲まれているのが見える。




贵德古城の中にある古建築群。贵德古城は城壁のように土塀で囲まれている。




梨馨院という場所だろうか。梨の花がたくさん咲いている場所である。
ちょうどこの頃、貴徳では梨の花祭りが開かれていた。





梨の花がたくさん咲いている。




古い梨の樹が多い。




梨馨院には梨の樹が沢山ある。私が行ったころは梨の花が満開であった。
この頃貴徳では梨花文化節とかいうイベントが開かれていた。
しかしそのイベントは私の目には止まらなかった。




貴徳古城の中にあった馬の塑像。なかなかリアルで迫力がある。




貴徳古城の中にいたチベット犬。こんなに立派なチベット犬の写真を
撮ったのは初めて。チベット犬は獰猛である。





これは貴徳古城の中の大仏寺の中の壁画であったかもしれない。




普通の民家の庭に咲く、梨の花




普通の民家や農家が庭を開放して、民宿やレストランを
開業しているところであるが、これを 「農家楽」と言う。





「農家楽」として営業している農家の庭。ここが農家なのか分からないが
「農家楽」であれば農家なのだろ。





普通の路地の風景。庭に梨の樹があって、あちこちに花が咲いていた。




黄河の河べりの、観光用の水車がある広場。




黄河を走る観光用高速ボート。実はこの時、黄河が青くなかった。
前の晩雨が降って少し濁っていた。





軽の乗合三輪タクシーに乗って移動。左側がうら若い女性の運転手。軽の三輪車で
乗合だから30円くらいで安かった。この女性の運転手は、投資のつもりで、
この軽三輪の車を買って運転しているのだろうか。





乗合三輪タクシー。これを利用すると便利で安い。




黄河奇石博物館の中の奇石。中国人はこういうのが好きらしい。私は中に入らなかった。




チベット族の人。服装から見ると高原に住むチベット族ではなくて、
この街に住んでいる人のようである。





夕食に食べた料理。この地方ではこれをよく食べる。「面片」といい、きしめんのような
幅広い面を短く千切って、それに羊肉、ピーマンなどを入れてスープで煮たようなもの。
なかなか美味しい。現地の人は酢を掛けて食べるものである。




羊のつるし切り。この前に羊の皮をはいでいたのだが、カメラが間に合わなかった。
既に一匹目をさばいて、二匹目かもしれない。血が殆ど流れていない。巧みな技である




羊をさばいている人たちは回族である。白い帽子で分かる。
実は相当暗くなってから撮ったので手振れが補正されていない。





分解された内臓や毛皮。場所は料理屋の店先である。新鮮な肉を食べさせる証明にも
なるのだろ。二匹さばいたのは確からしい。毛皮が二匹分ある。





レストラン経営者の子供の兄弟